ココロテラス:心理カウンセリング・キャリアコンサルティング大阪梅田[テーマ(緊張)]

生き方


緊張。

私はかなりの緊張しいでした^ ^

未だにその癖は抜けませんが、

その緊張を楽しめるくらいにはなれました。

記憶の中で一番古いのは小学校5年生の時、

クラスの皆んなにそそのかされて、

生徒会長に立候補させられました。

その当時としては斬新ですが、

政見放送的なものを

お昼休みにテレビで生中継で流すというもの。

テレビカメラに向かって演説をします。

話す内容を自分で書き、

担任の先生に添削してもらい

いざカメラの前に。

頭が真っ白になり、

確か15分くらいの演説中、

何を喋っているのかも覚えてないくらいに

緊張し、結果は次点で落選。

随分と落ち込んだことを覚えています。

落選のショックではなく

緊張の凄さに我ながらショックを受けました。

その後、社会人となり、ポジションも上がり、

少人数で慣れしたんだ人の前では

割と緊張しなくとも喋れるのですが、

大勢の前ではあいも変わらず緊張する。

28歳位の頃、

はじめて地区統括となり、

新卒者100名位の前で話した時なども

脇汗と脂汗を流しながら

自分でも顔が真っ赤に

なっていることが分かるくらいに

緊張しました。

その後も約10年ほど前に、

心理学を本格的に学び、

はじめてその養成校で講師となり、

30名の生徒さんの前での授業の際も、

最初の1時間は、

何を喋ったのかも覚えていません。

その時も、脇汗タラリ(T_T)と脂汗。

やっぱ人前で話すのは向いてないやと

何度も何度も思いました。

話し方の本や、様々な人の公演や、

ほんと沢山 自分なりに学びながら

その緊張をクリアすべく努力をしました。

緊張すると真意が語れないし、

自分を客観視出来ないから無駄なことも

多くなる。

そして、

緊張が緊張を生みますから

聴いている側にも緊張が伝播する。

だから、

過度の緊張の中での講義は、

面白味がなく殺伐とした内容となり、

聴いている側に何一つ残らない。

それは、

多くの公演者の方々を見ても分かりました。

自分も同じだなと何度も何度も感じました。

そして、

繰り返し繰り返し学んでいき

実践していくうちに、

過度の緊張はなくなり、

適度な緊張を保ちながら、

自分を俯瞰出来る余裕が出来、

違う話をしたとしても、

その日に自分が伝えたい内容の

本質からはずれずに

有機的結びつけることが上手に

出来るようになりました。

つまり、

緊張は過度な緊張をしたらダメであり、

適度な緊張は逆に必要である。

ってことを体得出来たってことです。

まだまだ良いスピーカーとは言えませんし、

偉そうなことは言えませんが、

これにより、

明らかに聴く側の方々の興味をひける

話が昔よりは少し上手に

出来るようになったと思っています^ ^


でね。

本日お伝えしたいのは、

過度の緊張をクリア出来た私の

サクセスストーリーとか

自慢話っていうのではなく、

人は、その気になれば直すことが出来、

より良く改善出来るってこと。


あきらめない。

誤魔化さない。

素直に認める。

そして、

過度に凹んで逃げない。

ってこと。

過度に凹むとそれは逃げ道になります。

だから、

過度の凹みを私はしません。

又、

凹んだふりもいたしません。

人間だから、1日、2日はそりゃありますが、

引っ張らないように意識します。

何故なら、

逃げたくないからと、

続ければ、

どんなことも結果は自ずと伴うということを

実感しているから。

継続

していく大切さを実感しているから。

凹みは逃げ道となり、

継続を妨げる格好の理由となるから。


未だに過度に

緊張してしまいそうになる時がある。

そんな時こそ、

又成長出来るチャンスきたきた^ ^

って思える今の自分を

小学校5年生の時の自分に教えてあげたいな。


人は各々 自分の物語を紡いでいて、

人それぞれに課題がある。

私の場合は、

緊張の裏にある承認欲求がテーマであり、

承認欲求の裏にある存在がテーマであり、

存在を俯瞰で眺めると

愛という大きなテーマを抱えて生きている。


誰しもに

テーマ

があるはず。

そのテーマをテーマ毎に明確にし、

そのテーマの一つ一つに

自分なりの答えを持てた時、

今抱えている現実の悩みが、

半分以上は解決出来るのではないでしょうか。

私が

緊張という現実的な悩みを

今現在、

半分以上はクリア出来たと思えるように^ ^