生きる
3980グラムで兵庫県西宮市の
親戚のおばちゃん家で
おふくろが入浴中に産気づき、
ご近所の産科で元気に生まれ、
チビの時には二階から落ち九死に一生を得、
小学生の時には鉄棒から落ち、頭を割り、
九死に一生を得、中学生の時は生活指導の
先生にボコボコにされ、
高校生の時は、単車でトラックに巻き込まれ
空を飛び、誰かと喧嘩すればボコボコにされ、
歯が砕けてお巡りさんに介抱され、
おふくろが死に、更にいきがる自分を創り、
人を傷つけその痛みに勝手に傷つき、
自業自得を誰かのせいにして生きながら
いつか何や分からんけど俺はやってやると
弱さを隠しハリボテの自分を懸命に創り、
虚勢を張りながら生きつつも
無性に感じる寂しさを拭うことも出来ず
心にいつも大きな大きな穴があり、
穴を埋める為の女性や他者に身を委ねる人生。
くだらん。くだらん。くだらん。
を繰り返し繰り返し呟くも、
くだらん自分はずっとそこにいて、
あきらめや虚しさの
完全なるナルシストと化し、
気づけばホントに
くだらんつまらん大人になっていました。
その驚愕は今も忘れません。
子ども時代に漠然と思っていた
大人という素晴らしい生き物と
その時の自分とのあまりにものギャップに
開いた口が塞がりませんでした^ ^
顎が外れるほどに口が塞がらない。
絶望感は半端なし。
んじゃ
どう生きよう?
どう暮らそう?
どう考えよう?
どう感じよう?
を必死にやってきたから
今がある。
過去があるから今がある。
じゃあ、
その過去を否定せずに受け入れて、
そんなくだらない過去を生きてきた自分も
許し、認め、慈しみ、
今がいつか過去になるということを知り、
今の生き方が未来を決めることに迷いはなく、
今、今、今をひたすらに生きている。
くだらん大人はあいも変わらず^ ^
でも、
そのくだらなさを否定もせずに、
くだらないも一つの能力と思い
あるがままに生きている。
そのままに生きようとしている。
だから、
楽ちん。
想い描く
くだらなくない生き方なんて実はなく、
ない理想や目標に向かって生きているから
生きるのが辛く苦しかった過去。
そりゃしんどいさ。
又、
ない理想や目標を持っていることを
薄っすらと知っていて、それを目指すんだって
言っていれば、現実を見ないで済むから
後回しにする事が出来、
そんな自分に甘んじられた過去。
ずっとそうして生きてきた?
多分そうして生きてきた。
やるやる詐欺状態を
これ以上 こじらせ続けるのか?
嫌だ嫌だめんどくさい。
シンプルなことを複雑に考える癖は、
現実に向き合うことから逃げる為の手段に
過ぎないことがとても多いことを
幸か不幸か知ってしまった^ ^
逃げ切れない^o^
でもそれらは全て、
今までの自分が懸命にこじらせて
迷い倒して教えてくれたこと。
だから、
私は生きられるのです。
くだらない大人としての自信を胸に。