生き方
問題(課題、悩み)は
見方を変えると
思考の餌食とも言えます。
思考が思考として存在する為には
餌食が必要。
だから、
問題を
敢えて創り出しているという見方。
で、
その問題の根源がどこから
もたらされるかというと、
過去の体験や経験
と
未来の不安からもたらされる。
だから、
今ココ
のみに焦点を当てることを意識し、
思考=自分という誤った呪縛から逃れ、
思考=自分という虚構から逃れ、
高次の自分を垣間見る必要がある
ということになります。
つまりは、
そんな時ほど
思考をじっと監視して、
その思考を疑ってみるってことが
大切だということが分かります。
で、
それらの流れを
より分かりやすく進めていくと、
仮に
嫌で不快な感情が出た瞬間に
自分の思考を素早く捉えてみる。
で、
その思考は自分ではないものとする前提を
持ってみる。
もっと分かりやすくいうと、
僕たちは思考を自分自身
と考えているから
様々な弊害が出るのであって、
思考はあくまでも僕たちの一部に過ぎない。
って捉えていくことを意味します。
思考というものを断面図にしてみると、
その大半は無意識の世界であり、
無意識の中で居場所を求めて
最も忙しく動きまわっている存在は
エゴ(自我)という存在であり、
そのエゴ(自我)は、
あたかも、
エゴ(自我)そのものが
お前自身そのものだよって
騙すのがとてもお上手という特性を
持っている。
だってそうしないと、
エゴ(自我)は崩壊しちゃうから。
存在する意味を失うから。
だから、
思考は自分の一部に過ぎない
ということ。
自分自身とは、
もっと高次の存在であり、
もっと大きな全体丸ごとを指し示す。
それを人は魂って呼ぶんじゃなかろうか。
では私たちはどう生きれば良いのか?
どう考えれば?
ってことに行きつきますが、
私たちは、
決して思考の奴隷になるのではなく、
思考は適宜使用するだけのものと定義する。
で、
それを可能にするのは、
自我(エゴ)の活動の素となる
時間の概念を取り払い、
過去や未来の存在を捨て、
今ココだけに集中するってこととなる。
しかしながら難しいのは、
日常生活において
時間の概念を失くすことは出来ないから、
もう一つの概念を創っていく。
それは、
実生活においては
単純に、
時計時間
と捉えることだけと定義する。
スピリチュアリズム。
スピリチュアルやスピ系などと
揶揄する人も中にはいるが、
魂をスピリチュアルと捉えると
迷信やオカルトとはやっぱり違うものだと
私は思う。
我々の細胞の分子レベルの振動を
波動や周波数みたいなものとして
捉えている量子力学も
結局はエビデンスベースドの
科学の分野ではあるけれど、
結局は、
全てが解明されているわけではなく、
全体=自分自身=魂
って定義していくと
やっぱり
とどのつまりがスピリチュアリズムに
繋がっていき、
スピリチュアル=非科学的って論拠が
まかり通る依拠する理論が
この世には存在しないってこととなる。
で、
決してエビデンスベースドではないけれど、
間違いなく私たちが日々感じるのは、
魂でもいいし、心でもいいのだけれど、
それらが確実にあるに違いないって
誰もが実感を持って
知っているということであり、
私も心は脳にあるとは思っているが、
その実証が
未だ明確にされている訳でもなく、
心の解釈を変えて見てみると、
日本心理学会のサイトでさえ、
身体-環境システムって理論の引用もあり、
それは解釈を変えてみると、
まさしく魂とも言えるものともなり、
やっぱりそれも
スピリチュアルってこととなる。
信じる信じないは人それぞれ。
真理をスピリチュアルに求めるってのが
馬鹿にされたり批判されたりは
やっぱ違うよなって
最近つくづく思うのですよね。
学べることや参考になることも
やっぱり多いしね。
精神医学やその亜流とされる臨床心理学も
元々は加持祈祷の世界からなんだから、
科学というものが権威を誇りすぎであり、
画一的に考えがちになることこそ
まさに、
(エゴ)自我の機能のなせるもの
なのかなーってのを
最近強く思うのです。
だってさ、
心もあるしさ、
魂ってやつも僕らにはあるよね^ ^
だからこそ、
これまでの繰り返しにはなりますが、
最後に結論づけるとしたならば、
自分自身ってのは
決してその思考そのものだけじゃない
って感じられた人から
自我の呪縛が解けて
楽になれる
ってこと。
自我の呪縛から逃れると、
きっとそれは
宇宙と自らの一体化。
(神かもしれない。)
つまりは、
自らは宇宙で、
宇宙は自らで、
自らはあなたで、
あなたは自らで、
自らは愛犬で、
愛犬は自らで、
自らは愛する人で、
愛する人は自らで、
自らは草花で、
草花は自らで、
自らは道端の石で、
道端の石は自らで、
自らは自らは自らは・・・
その自らって感じる自らが
薄まり、無くなったとしたら?
(目には見えなくとも構造は残っている。
空即是色。)
何も怖いものはなし^ ^
何も怖れる必要もなし^ ^
平安しか、幸せしかない。
ご参考まで。