生き方
「なんで出来ないの?」
私たちの誰もが、
例えば養育者などからそんな風に言われ
育てられました。
「なんでそんなことも分からないの!
いつも言ってるでしょ!!
もう!この子は〜🗯」
なんてお母さんが子どもに叱っている
場面も日常茶飯事に見受けられます^_^
本人にしてみれば、
だって、
分からないものは分からんやん(ToT)
です。
で、
分からないことはダメなこと。
分からなかったら叱られる。
なんてことが身について、
社会に出てからも、
分からんかったらバカにされる
なんてのも学んでいって、
良い風に進めば学究肌の探索家に
なったりもするが、
ほとんどは、
私のように^_^
分かったフリでやり過ごす^_^
もしくは、
分からんもんは分からんから
仕方ないやん!
って開き直ったりするようになる^_^
ごくたまに鋭い人がいて、
今説明したことを説明してみて
なんて言われ、
全く答えがズレていると
やっぱり私はダメなんだ(ToT)
なんて思っちゃう。
なんで?
や
何故?
って問いかけに対し、
私たちは割と無頓着に無意識に反応し、
責められているから言い訳を探す的な
刷り込みによる対応をしがちとなる。
(あるいは開き直って拗ねてみたり、
落胆したフリをして相手に罪悪感を
与えたり^_^実に様々。)
それでは
何故?ってことが
いつまで経っても解き明かされる
わけがないよね〜(^O^)
カウンセリング講座でも
しょっ中お伝えしている
ことですが、
何故出来なかったのですか?
って質問の仕方ではなく、
何が出来なくさせたんでしょうね。
あるいは、
何が出来なくさせているのでしょう?
って言葉に変換させる。
出来なかったのは良くないことかも
しれないけれど、
仕方がないやん、
自分でも分かってるんだから
ほっといてくれよ!
私の何が悪いのよ!
なんてことに人はついついなりがちで、
そんな質問をダイレクトにしたとしても
責められているなんて感じがしてしまい、
内省化が全く進まなくなっちゃって、
ご自身がご自身で考えていくという
大切なプロセスの芽を摘んでしまう
ことにもなりかねない。
これ、
自分自身の内的照合にもかなり使えます^_^
自分の何が出来なくさせているのだろうか?
って自分に質問したとしたならば、
何で自分は出来ないのか?
っていう結果に対する是非よりも、
問題解決の方向に自然に
思考は向いていくもの。
つまり、
単なる感情の習慣化された反応ではなく
思考の力を借りるってこと^_^
何が出来なくさせているのだろうか?
そうか、
きっと私はコミュニケーションの仕方が
分からないからなのだ。
だから、
学ぶ必要があるよね。
とか、
そうか、
私はきっと表現力が乏しいのよね。
じゃあ、
読書で表現力をもっと身につけよう。
とかに自然となる。
つまり、
性格とか性質とかの人格的なものではなく、
一つのスキルが足らないに過ぎないって、
論理的に定義するってことに繋がる。
立ち止まってしまう人のほとんどは、
前述のように、
出来ないのは仕方がないやんか!
「私なりに」頑張っているのに
酷い酷いわ〜
って感情優位の開き直り^_^が多いけど、
進む人は、
出来ないから出来るようにするには
どうしたら良いのか?ってのを考える。
もし同じように、
問題解決の為に道を切り開いていくとしたら?
どちらの方が継続していけるのだろうか?
答えは明白ですよね〜(^o^)
質問力により
人生は確実に変わります。
自身に対する良質な質問力を。
変わりたければね^_^
成長したければね^_^
このモチベーションが高ければ高いほど。
質問力の仕方を変える方法は、
効果が如実に表れるものです。
お試しを^_^