生き方
生き方
ってやつを私たちは模索する。
どう生きれば幸せになれるのか?
どう生きれば豊かに暮らせるのか?
どうすればこの苦境を乗り越えられるのか?
常に暗中模索の状態で、
先人たちの智慧や他者の方策などから
ヒントを得、それらをなぞりながら
僕たちは生きている。
他者の中には家族も入り、
家族の概念の中心には親がいて、
親の生き方をなぞりながら生きてみたり、
はたまた、
それを反面教師として生きてみたりの
試行錯誤を繰り返していく。
でも、
親は親であって自分ではないのが自明で、
そんな近視眼的な発想からの脱却を目指し、
僕たちは家族以外の周囲に目を凝らし、
自分と似通った思考や発想や
生活史を歩んだ人々を探し出し、
その方策をなぞろうとする。
でも結果、
その人はその人であって、
自分ではないってことに気づいていく。
そうなると大変だ^_^
何故なら、
拠って立つところが急に無くなったりも
するのだから。
なぞっていれば大変な想いをしなくては
いいものを、
私っていう存在と、
なぞる相手が違う人間だという
極めて当たり前のことに
気づいた時から人生は再スタートを切る。
それは、
僕的に申し上げるとしたならば、
今まで、そんな苦しいがんじがらめの
状況で生きてきた方には、
おめでとうございます。
です^_^
さあ
二度目の人生がやってきましたよ^_^
ってこと。
そっからが、
本当のあなたの人生だってこと。
なぞらないオリジナルの人生を歩む。
それは、
生き方の方向転換を意味する。
つまり、
生き方をどうする?
んじゃなく、
生き様に焦点を当てていく。
それが、
生き方^_^
生き方は未来志向。
生き様は現在の積み重ね。
全く違う視点に立つ。
生き様を重ねるということは、
今を生きるということで、
自分の生き様全てに意味を見出していく。
で、
逆に言えば、
その生き様なるものが
なんかしんどそうとか、
なんか不安そうだとか、
なんか自信がないだとか、
そんなものがあったから、
生き方の模索ってやつに
ただただ逃げていただけじゃないの?
ってことに気づいたとしたら、
そりゃあ
誰かの生き方をなぞったところで
身にはついていないよな〜ってのが分かる。
自分の生き様の中に、誰かの生き方を
取り入れていくっていう発想。
それがとても大切です。
だから、
目標が目標たる役割を果たす。
だって、
誰かの生き方をなぞる生き方における
目標なんて、
絶対に^_^達成するわけなんてないのだから。
生き様に焦点を当てた生き方の先に
目標があり、
その目標があるからこそ、
生き様が確かなものとなっていく。
だから、
生き様を感じ、考え生きる人は、
幸せになるためには?とは考えない。
では、
どう考えているか?
既に私は幸せだ。
って考えている。
だって、
生き様なんだから^_^
生き様という発想が幸せをもたらします。
それは、
自分史を
確実に編纂しているという感覚であり、
自分史を確実に編纂している感覚自体が
幸せ
に直結したものだから。
ご参考まで。