生き方
絶対に負けられないって、
苦しい時ほど大切かな?
って思います。
何故なら、
その苦しさは、
負け続けているがゆえ
ってことがあり、
苦しさや辛さに対する抵抗力を
私は負けるもの
私は負けて仕方ないもの
っていうセルフイメージが
そいでしまうから。
でも、
やっぱり人は負けたくない。
だから、
そこに矛盾が生じ、
でも、頑張りたいけど頑張れない自分に
対する諦めや責めで
その場を巧みにすり抜ける。
そして、益々、
すり抜けることを覚えると
苦しさや辛さへの耐性や抵抗力が落ち、
結果的に、
内にうちに引きこもっていってしまう。
これ、
至極、至極、当たり前のことで、
そんな人は特別だとか、
おかしいだとか、
心が弱い人?だとか、
心が病気の人?だとか、
勿論、器質的な問題等で、
疾病に絡んだものもあるでしょうが、
人間なんて、大なり小なり
そんなもんだと私は思います。
そんな方が極めて健全です。
で、
肝心なのは、
負けない心創りに挑むってこと。
そうそう^ ^
何に負けないか?
って、
お分かりのように、
人と競争してだとか、
1番になる為にだとか、
そんなんじゃなく、
自分に負けない
ってこと。
もし仮に、
人が生きるうえでの
避けられない闘いが
あるとしたら、
この闘いがあるのみ。
何か深い悩みか苦しみがあったとする。
まずは「癒し」
その後に「整え」
そして「変化」する。
悩みや苦しみは自分の内部に
生じるものだから、
親を変えられないし、
ご主人の浮気癖も治せないし、
別れた彼女は戻ってこないし、
会社の上司をクビにすることも
現実的には出来ない。
でも、
人は、その方法論を懸命に探す。
何故探すか?
自分と闘わないですむ為に。
厳しいようですが、
事実です。
でもね。
皆んなそんなことは分かってるのよね。
分かっているけど出来ないのも
よく分かります。
だって、私も同じ人間だから^ ^
ただ、
誤ってほしくないのは、
自分との闘い
ってのは、
「癒し」「整え」「変化」
の全てが闘いの態勢に入っているってこと。
つまり、
癒すことって闘いなのよ。
整えることも闘いです。
変化が闘いのように感じているでしょ?
違いますよ。
全てです。
これを誤ってしまうから、
癒し
のステージから抜けれない方が多い。
癒しを、
回避とか逃げとか一時凌ぎに
使ってしまうから。
違います。
あくまでも、
ステージであり、
闘いのプロセスです。
つまり、
癒しのステージに登るということは、
ファイティングポーズを取っている
ってこと。
それは、
リングに上がっているってこと。
その認識があれば、
緩やかに、
「整え」「変化」に勝手に移行して
いきます。
辛いことがあった。
神さまにお願いしに
行ったとしましょう。
神さまお願いします。
この辛さや苦しみを
どうにかしてください。
どうか、どうぞお願いします。
これ既に、
自分との闘いのステージだよ^ ^
勘違いするから、
ここで終わってしまう。
神さまが、
現状の辛さや苦しみを
取り除いてくれるのか?
(取り除いてくれることもあるかも?ね。
それは知らん^ ^)
で、
大概は取り除いてくれないので、
あんなにお願いしたのに!!
ってなる。
これは、
他責
で巧みに逃げている
逸らしているのと全く同じ。
でももし、
ファイティングポーズの認識が
自らにあるのなら、
神さまに祈る際は多分、
宣言
になるんじゃないのかな?
ってこと。
逃げ続けた私が今、
これだけはハッキリと言えること^ ^
逃げ続けんな。
甘え続けんな。
逃げや甘えは
癒しのステージ。
それは凄く良いことです。
でも、
癒しのステージにいる
ってことは、
何を意味するんでしたっけ?
そう、
既に
ファイティングポーズを取っている
ってことね。
その認識がもし持てたなら、
戦闘モードで全力で闘いなはれ!!
それが絶対に負けられない闘いです。
ご自分とのね。
人間個々人が個々人の闘いがある。
無い方がおかしくないかい?
で、
最後に
一応は言っておきますが、
大概は勝ちます^o^
一時期はね。
でも、
又、
違う闘いが生じるもので、
そのたびに
ファイティングポーズ^ ^
それを実感していくのが、
己の成長
ってこと。
へー。
皆んなそんなに出来た人なのかい?
ふーん。
皆んなそんなに大した人なんだ〜^ ^
違うんだったら
今すぐに!
何するの??
ご参考まで^ ^