生き方
例えば、
余命幾許もなくなった際、
人は何を悟るのだろうか?
幸せだったことを悟るのか?
理不尽さを悟るのか?
苦難の道のりを悟るのか?
人それぞれではあろうけれど、
多分、
共通して言えることは、
悟ることを悟る^_^
人は、
どうあがいても、
結果に生き、結果に死ぬ。
それはつまり、
自分に対する評価というものを
いつも自分に求めていて、
その評価を自分なりの答え合わせをして
勝手に採点をし、その採点によって、
人生の一喜一憂に繋げて生きている。
それは勿論、
自身の価値観や信念に裏打ちされる
ものでもあるのだが、
それらの大体は、
自分のものだと思ってはいるが、
誰かのものがほとんど。
その誰かの価値観によって
自分は生きてきたんだ!
なんて、最期の刻に皆んな悟る
んだろうな^_^って私は思います。
で、
悟ることを悟るってのは、
そういった人生の意味合いを、
もっと早くに知っておけば良かった〜
って後悔ね。
そいつを悟る人が大半だと感じます。
で、
そうなると、
人は何故生き、何故死ぬか?
っていう壮大な難題に向き合うことに
なっていくのだけれど、
そもそもが、
結果ありきで生きるからこそ
何故?何故?何故?
と答えの出ないものにまで
答えを無理矢理にでも導き出そうとする。
だから、
もし、
生きているうちに悟りたいのであれば、
答えなんてどこにもない
って世界観を自身の中に
打ち立てれば良く、
それは、
極めて頼りなく、
極めて不透明であり、
極めて不安定な心許ない状態だけれど、
頼りなく、不透明で不安定で
心許ないからこそ
見えてくるものがある。
それは、
生と死
ってやつが曖昧模糊としたものとなり、
それは、
決して投げやりなものになってしまっては
とても困るのだが、
そういった捉え方ではなく、
生死の境がないのだから、
完全なる
パーフェクトワールド(^O^)
が存在するってことを見ていくってこと。
つまりは、
この世界に
自分は居るけれども居ないという
全てと繋がった世界を感じていくってことで、
そいつが、
繰り返しますが、
パーフェクトワールド(爆)
その世界では、
全ての中の一部であるに過ぎない自分は、
一部に過ぎないのだけれど、
その一方では、
確かに一部でもあるという
極めて、
確かな安心感をもたらす。
そいつがもしも
生きているうちに獲得出来得たなら?
人はどうなるだろうか?
そう。
生死を超越していきます^_^
誰の支配もなく、
誰を支配するでもなく、
何かに所有されるもなく、
何かを所有するでもなく、
全ては一体な世界。
幸せ、不幸せ
なんて概念もぶっ飛びます。
時間だって消え去ります。
僕らが感じる
不確かなものに対する恐怖ってさ、
人間社会が便宜上、
創造してきたものに
過ぎないんじゃないの?
ってね。
最近、つくづく深く思うのです。
だから尚更こう思う。
不確かさは怖いものではない。
逆に、
全体の一部であるっていう面で生きてみると、
安心と安定しかもたらさない。
だって、
僕らはパーフェクトワールドの一部
なんだからね。
この思考性の獲得をさ、
是非!
お試しあれ( ◠‿◠ )
もっと楽に生きれますから。