タイトルの[冗長性]とは、
主にIT関係で使用される機会が
多いらしいですが、
古くから心理学でも使っています。
冗長性とは、
余分な部分が付加されていることで、
それにより機能の安定化が図られていること。
余剰性やリダンダンシーなどと言われる
こともある。
私はプラス要素として、
過剰学習
というのも同時に意識していて、
[反復と継続により、
これまでの知識や技能をより強固な
ものにしていくという意味。]
この二つを掛け合わせることが
安定的な自分自身の心の在り方に繋がっていく
ような気がしています。
つまりは、
冗長性により、様々な分野から学びを得て、
過剰学習により、新しいものを
取り入れる際に古いものを忘れてしまう
(捨ててしまう、上書きされる)
脳の特性に意識的に抗う。
という過程を大切なものと感じています。
自分の興味のある無しに関わらず
(自分の世界以外の人との交流など
利害関係の有無等、無関係に。)
一見、自分とは関連のない事柄に触れ、
触れる頻度を高める意識をすることにより、
様々な物事の道理や理屈に興味が湧く。
興味が湧くから探求し、探求するから、
行動し、触れる機会が増えていく。
そうすると、
再度、自分自身の構えが鮮明に見えてくる。
で、
それらを繰り返していくと、
その構えは、以前の構えよりも当然ながら、
より安定化に繋がっていくであろうし、
そういう働きかけを行っている
自分自身の効力感も高まっていく。
ただ、
注意すべき点は、
私たちの癖である上書き保存という特性は、
(良くも悪くも)ついつい私たち自身が陥る
新しいもの好きという点を強化していき、
新しいもの好き即ち、
自分であって自分ではなく、
ひょっとしたら他者に踊らされている
かもしれないという受け売り状態を招く
可能性があり、
それを避ける為にも、
過剰学習
つまりは、
自分自身のモノの考え方や感じ方や
行動の仕方を都度検証しながら、
(自分にとっての)良いところは強化し、
良からぬところは消去していくことの
繰り返しをいつもしていくってことが
とても大切であるってこと。
シンプルに言うと、
井の中のカエル大海知らず。
という
あまりよろしからぬ
ことわざから発想していくと、
私たちは井戸の中のカエルです。
先ずはカエルと認めること。
それは、
カエルはカエルであって、
井戸の中であろうが、井戸の外であろうが、
カエルであることに間違いはない。
(人間だけどね^ ^)
それだけは、事実であり真実。
で、
井の中の蛙
には続きがあって、
それは、
でもね。って意味合いで、
されど、空の蒼さを知る。
が続く。
それが、
本日のブログの内容と同じこと。
バランス
がとても大切ってこと。
私たちは、
その空が蒼いことを知っています。
(知らなければ知る為にって意味合いでも可)
でも、
その蒼い空が果たして蒼いかどうかが
分からなくなることがある。
そんな時は、
井戸の外に出でて、
その外から天空を眺め、
蒼いのかどうかを確認する他がない。
そうして、
何度も繰り返し繰り返し確認し、
その蒼い色にも濃淡があることを知る。
濃淡があれども、
蒼いものは蒼いだろうし、
もっと言えば
カエルはカエルであることに
間違いはない。
ってことに気づいていく。
そいつが、
心の安定化に繋がっていく。
言わば、
自分を検証していくことと、
多様性に触れていくこと。
このバランスと過程がとても大切
ってことでしょうか。
ご参考まで。
主にIT関係で使用される機会が
多いらしいですが、
古くから心理学でも使っています。
冗長性とは、
余分な部分が付加されていることで、
それにより機能の安定化が図られていること。
余剰性やリダンダンシーなどと言われる
こともある。
私はプラス要素として、
過剰学習
というのも同時に意識していて、
[反復と継続により、
これまでの知識や技能をより強固な
ものにしていくという意味。]
この二つを掛け合わせることが
安定的な自分自身の心の在り方に繋がっていく
ような気がしています。
つまりは、
冗長性により、様々な分野から学びを得て、
過剰学習により、新しいものを
取り入れる際に古いものを忘れてしまう
(捨ててしまう、上書きされる)
脳の特性に意識的に抗う。
という過程を大切なものと感じています。
自分の興味のある無しに関わらず
(自分の世界以外の人との交流など
利害関係の有無等、無関係に。)
一見、自分とは関連のない事柄に触れ、
触れる頻度を高める意識をすることにより、
様々な物事の道理や理屈に興味が湧く。
興味が湧くから探求し、探求するから、
行動し、触れる機会が増えていく。
そうすると、
再度、自分自身の構えが鮮明に見えてくる。
で、
それらを繰り返していくと、
その構えは、以前の構えよりも当然ながら、
より安定化に繋がっていくであろうし、
そういう働きかけを行っている
自分自身の効力感も高まっていく。
ただ、
注意すべき点は、
私たちの癖である上書き保存という特性は、
(良くも悪くも)ついつい私たち自身が陥る
新しいもの好きという点を強化していき、
新しいもの好き即ち、
自分であって自分ではなく、
ひょっとしたら他者に踊らされている
かもしれないという受け売り状態を招く
可能性があり、
それを避ける為にも、
過剰学習
つまりは、
自分自身のモノの考え方や感じ方や
行動の仕方を都度検証しながら、
(自分にとっての)良いところは強化し、
良からぬところは消去していくことの
繰り返しをいつもしていくってことが
とても大切であるってこと。
シンプルに言うと、
井の中のカエル大海知らず。
という
あまりよろしからぬ
ことわざから発想していくと、
私たちは井戸の中のカエルです。
先ずはカエルと認めること。
それは、
カエルはカエルであって、
井戸の中であろうが、井戸の外であろうが、
カエルであることに間違いはない。
(人間だけどね^ ^)
それだけは、事実であり真実。
で、
井の中の蛙
には続きがあって、
それは、
でもね。って意味合いで、
されど、空の蒼さを知る。
が続く。
それが、
本日のブログの内容と同じこと。
バランス
がとても大切ってこと。
私たちは、
その空が蒼いことを知っています。
(知らなければ知る為にって意味合いでも可)
でも、
その蒼い空が果たして蒼いかどうかが
分からなくなることがある。
そんな時は、
井戸の外に出でて、
その外から天空を眺め、
蒼いのかどうかを確認する他がない。
そうして、
何度も繰り返し繰り返し確認し、
その蒼い色にも濃淡があることを知る。
濃淡があれども、
蒼いものは蒼いだろうし、
もっと言えば
カエルはカエルであることに
間違いはない。
ってことに気づいていく。
そいつが、
心の安定化に繋がっていく。
言わば、
自分を検証していくことと、
多様性に触れていくこと。
このバランスと過程がとても大切
ってことでしょうか。
ご参考まで。