人を貶したり、
物事を貶したり、
世の中を貶したり…
「貶すのは簡単」
です。
自分の中にある不協和を解消する
もっとも手っ取り早い
最善の方策とも言える。
でも、
貶す
ことに慣れてしまうと、
それは、
常用しているお薬のように
最初の頃は効きは良いが、
徐々に(菌などに)耐性が出来て
効きが悪くなる。
すると、
もっともっと強い薬を欲するようになり、
貶す→過度な否定・批判→誹謗中傷
→例えば犯罪
てな感じでエスカレートしていくことは、
火を見るよりも明らかである。
例えば、
他者を貶す時、
自身の正義が正しいものだと
私たちは思っていて、
その正義の裏打ちするものは、
自分自身の鼻くそみたいな経験であったり、
自分自身の
鼻くそみたいなプライドであったり、
つまりは、自分のくだらない「自信」が
意識せずともそこにある。
(くだらない自信を持つ為に、
何かを貶すという面もある。)
そのくだらない「自信」は、
逆に他者から貶されたとすると、
表面上はいくら鷹揚に振る舞ってはいても、
内面では狼狽し、
クヨクヨイジイジと気に病み、
結果、
いとも簡単に瓦解する極めて脆弱なもの。
人を貶す人は、
人一倍貶されるのが嫌。
何故なら、
安易に他罰、他責を用いることにより、
自身を維持しているが故に、
自信が極めて脆弱であることを
巧みに隠しているから。
(世に言うマウンティングも同様)
で、
それは、
攻撃は最大の防御
を地でいっているとも言える。
そして、
攻撃(貶す)をいつもしてくる人は、
勝手に潰れていくってこと。
何故なら、
自身の正義を検証する為に
他者を巻き込むことでしか、
自分自身を保てないから。
つまりは、
必然的に、巻き込める相手が
その内に居なくなるってこと。
だから、
現状の日本という国では、
ネットによる匿名での誹謗中傷が
増加の一途を辿っています。
逆に言えば、
それ程、個人の尊厳が保てない世の中で、
憂うべく事態だと私は思います。
では、
私たちはどうしたら良いのか?
先ずは、
自分が他者を貶さない
ということ。
そして、
他者に貶されたとしたならば、
その人の役に立てたと思うこと。
その上で、
役に立てたと思えたとして、
頻繁に貶し行為が続くようなら、
淡々と粛々とそれなりの対処をし、
自分自身を守ること。
即ち、
それなりの対処が
貶す人に、それがいかに貴方の為に
ならないかを分からせる
(分からない人はそれまでで、
成長のチャンスを逸する。
それはその人の問題、課題であって、
そこまで貴方が引き受ける必要はない。)
即ち、
それも役に立つってこと。
決して、
攻撃に攻撃で対応してはいけません。
正義 対 正義は、
ただただ争いしか生まないから。
ご参考まで。
物事を貶したり、
世の中を貶したり…
「貶すのは簡単」
です。
自分の中にある不協和を解消する
もっとも手っ取り早い
最善の方策とも言える。
でも、
貶す
ことに慣れてしまうと、
それは、
常用しているお薬のように
最初の頃は効きは良いが、
徐々に(菌などに)耐性が出来て
効きが悪くなる。
すると、
もっともっと強い薬を欲するようになり、
貶す→過度な否定・批判→誹謗中傷
→例えば犯罪
てな感じでエスカレートしていくことは、
火を見るよりも明らかである。
例えば、
他者を貶す時、
自身の正義が正しいものだと
私たちは思っていて、
その正義の裏打ちするものは、
自分自身の鼻くそみたいな経験であったり、
自分自身の
鼻くそみたいなプライドであったり、
つまりは、自分のくだらない「自信」が
意識せずともそこにある。
(くだらない自信を持つ為に、
何かを貶すという面もある。)
そのくだらない「自信」は、
逆に他者から貶されたとすると、
表面上はいくら鷹揚に振る舞ってはいても、
内面では狼狽し、
クヨクヨイジイジと気に病み、
結果、
いとも簡単に瓦解する極めて脆弱なもの。
人を貶す人は、
人一倍貶されるのが嫌。
何故なら、
安易に他罰、他責を用いることにより、
自身を維持しているが故に、
自信が極めて脆弱であることを
巧みに隠しているから。
(世に言うマウンティングも同様)
で、
それは、
攻撃は最大の防御
を地でいっているとも言える。
そして、
攻撃(貶す)をいつもしてくる人は、
勝手に潰れていくってこと。
何故なら、
自身の正義を検証する為に
他者を巻き込むことでしか、
自分自身を保てないから。
つまりは、
必然的に、巻き込める相手が
その内に居なくなるってこと。
だから、
現状の日本という国では、
ネットによる匿名での誹謗中傷が
増加の一途を辿っています。
逆に言えば、
それ程、個人の尊厳が保てない世の中で、
憂うべく事態だと私は思います。
では、
私たちはどうしたら良いのか?
先ずは、
自分が他者を貶さない
ということ。
そして、
他者に貶されたとしたならば、
その人の役に立てたと思うこと。
その上で、
役に立てたと思えたとして、
頻繁に貶し行為が続くようなら、
淡々と粛々とそれなりの対処をし、
自分自身を守ること。
即ち、
それなりの対処が
貶す人に、それがいかに貴方の為に
ならないかを分からせる
(分からない人はそれまでで、
成長のチャンスを逸する。
それはその人の問題、課題であって、
そこまで貴方が引き受ける必要はない。)
即ち、
それも役に立つってこと。
決して、
攻撃に攻撃で対応してはいけません。
正義 対 正義は、
ただただ争いしか生まないから。
ご参考まで。