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明けない夜は・・・

明けない夜はない。

止まない雨はない。

などと、

人は、
誰かが落ち込んでいる際に
このような言葉を
かけることがある。

自分自身の
経験値からの声なのか、
はたまた、
誰しもが使う言葉だからこその
受け売りか、

何れにしても
その目の前の人に
何とか
元気になってもらいたいや、
何とか
笑顔になってもらいたいから
こその働きかけであることには
間違いがないと思われる。

でも、
少し考えてみると、

今、

暗闇の中を彷徨っていたり、
雨が降り通しの中を佇んでいる
その人は、

ひょっとしたら、
夜明けの景色や、
降りやんだ雨のあとの景色を
見た経験がないかも知れず、
その言葉の意味に実感がなく、
逆に、
私は、
夜明けの景色を見なければ
とか、
私は頑張って、
降りやんだ雨を体感しなければ
であるとかの
それでなくとも
シンドイうえに、
更に
無用の圧力を
こうむるっていう
可能性もある。

言わば、

普通や通常

という

ワケが分からないものに
翻弄されたりもする。


その状態、
その状況の中で、

その人は在る。

ただそれだけを認めれば良い。

在るのも
その場を離れるのも

その人の自由であり、

自由とは
責任が生ずるものであり、

その責任を果たせないでいるから
苦しい状況にいる。

つまりは、

どんな状況、状態にあろうとも、
その人の存在をキチンと認める。
そして、
その人の内部から
湧き出してくるであろう
力を信じて待つ。

本当の助けとは、
ただただ
同じ存在として
その側に在ること。
(物理的、距離的などは
関係なく。)
もっと言えば、
助けなんてのも
割と傲慢な話で、

私はあなたを助けたい。
が出た瞬間に、

相手は、
その助けに
応えなければならない

が来て、

上滑りの表面的な

いわゆる

普通、通常、
一般的、セオリー通りの
サポートという名の押し付けが、

益々相手を苦しめることとなる

ってことが、
かなりの高い確率で
世の中のあちこちで
起こっているってことを

僕らは
いつも肝に銘じる必要が
あろう。

共生や共存を
真の意味で
具現化していくが
これからの時代のテーマだと
私は思います。

その為に、

私たちは、

どう在るべきか?

そして、

個人個人が

どう在りたいのか?


在る


ということを
深く見つめ直していくことが、
これからの私たちに
突きつけられている
喫緊の課題だと思われます。

ご参考まで。

津村健司