現実とは何か?
それは、
その人個人が受け止めている
認知の世界というのが
その人の現実であり、
個人は、
その認知している世界
の中で生きている。
例えば、
田舎道をドライブしていると
暗闇に急に人影が。
助手席の一人は、
「危ない!!」と叫び、
運転席の一人は、
平然と慌てる様子もなく、
それが、田んぼにある
かかし だということを
知っている。
二人とも、
同じ事態を観察しているが、
反応は全く違うもの。
何故ならばそれは、
自分自身が認知したままの
現実に反応しているに
過ぎないから。
よって、
個人にとっての現実とは、
その個人にしかその全体を知る
ことが出来ず、
他者は、
その個人と同じくらい完全に、
その個人にとっての
現実を知ることは出来ない。
現実は実に多様である。
自身の経験値でも
日常的にそのことが分かる。
例えば、
駅のベンチに座る。
いつもは何気なく座っていて、
特に意識することもないが、
冬のとても寒い日の朝に腰かけると、
お尻がとても冷たいと感じる。
この
感じた経験が、
私はベンチが冷たいんだと
感じたんだ。
ベンチは冬場に座ると
お尻が冷たいもんなんだ
という認知をもたらし、
有機的体験として
その人の
現実の世界となる。
お尻の皮が人一倍厚い人は
これを感じないから^^
現実ではないということになる。
繰り返すが、
現実の世界は多様であり、
それぞれの人々が、
そのそれぞれの
現実の世界を生きている。
それを先ずは理解し、尊重し、
人間関係の土台として
自身の中心に据え置き、
その上で、
互いの現実世界に
興味関心を持つことにより、
相互理解が深まり、
違うからこそ
共生
していけるってことを
体得していく。
そうすると、
人間関係において、
自分の中にある
短絡的な
好き嫌いという
ある意味の
取捨選別制度の傾向
が薄まり、
例えば、
何となく嫌いだけど、
関係性があるから
つき合わざるを得ない。
我慢して
つき合わざるを得ない。
などという
苦痛からは解放されていく。
(つき合い方の土台が変わる。)
ご参考まで
津村健司