きっと、
あの人は○○だろう。
きっと、
明日は○○だろう。
きっと、
それは○○だろう。
きっと
って言ってるのに、
だろうで結んでいる
って矛盾^^
結びが
違いない!!
間違いない!!
ではなく、
だろう
って時ってさ、
心が弱っているバローメーター
ってことがある。
言い切れない何かが
心の内にある。
その何かとは、
自分の中にある
迷いや戸惑いっていうのは
勿論のこと、
一番は、
受け身の気持ちに
心の多くが占められている時。
で、
受け身の気持ちが強い時って
大体において、
外界からの働きかけの対応に
心が疲れていて、
何らかの不安や焦りや
プレッシャーに対して、
心が能動的に
上手に反応出来ない状態
となっている。
だから、
そのバランスを
無意識に取るべく、
「きっと」って出だしで、
結びに「だろう」で、
「だろう」が受け身で、
「きっと」が受け身を紛らわす
能動的な心の力動への切望
となっている。
だから、
このような矛盾が生じてしまう。
しかも、
あの人、明日は、それは、等は
全て外界を指し示すものであり、
これまた大概は、
ネガティブな審判や判断や見解が
○○の部分に含まれる。
こうなると、
私たちは
少し気をつけた方が良い。
自身の弱った心や、
荒んだ心のやり場に困り、
それを外界に求め、
確証無き審判や判断や見解で
お茶を濁していることに
気づかずに
そのまま過ごしてしまうと、
濁った心根が視野を狭め、
自信の無さが日に日に露呈していき、
その悪循環が、
自身の存在性を消してしまう。
そうなると、
その存在を確立するために、
益々、外界に対してのネガティブな
働きかけ(例えば攻撃)をしないと
確立出来ず、
結果的に
誰かを傷つけるや、
迷惑をかけることとなり、
本来的で真っ当な存在性の確立から
見事なまでにすり替えられる。
きっと、あいつは失敗するだろう。
きっと、明日は良くない日であろう。
きっと、それは嘘だろう。
確信を持って言えないことばかり。
でもそれを
不意に
無意識に
発話してしまう時、
ちょい注意。
心が弱っているかもです。
心が荒んでいるかもです。
その後、かなり高い確率で、
きっと、あいつは失敗するに違いない。
きっと、明日は良くない日に違いない。
きっと、それは嘘で間違いない。
に移行します。
そうなると、
自分自身の生き方を
確実に狭めますから。
そうならないうちに
自分自身で (お)手当を。
ご参考まで。
津村健司