足りない
足りない
足りない
歯を食いしばろうが、
必死に挑もうが、
懸命に努力しようが、
何も身につかない。
何も得られない。
何も手に入らない。
本当は、
必死に懸命に
歯を食いしばって
努力をしていれば、
そのプロセスが力となり、
望むものが得られ、
手に入ったはずなのに。
時代のせいか?
進化のせいか?
虚飾(フェイク)のせいか?
自らのせいか?
お前たちのせいか?
また、
電車での
悲しく忌まわしい
事件が起こりましたね。
世界中で日々、
そんな事件が
起こっています。
罰を恐れない怖さ。
自分や他者を
大切にしない怖さ。
道徳や倫理が
通用しない怖さ。
関係性が脆すぎる怖さ。
言語が響かない怖さ。
自身は
持っていないけれど、
世の中の輝く人々は
持っている。
だから羨ましいし
眩しすぎるし憎らしい。
人に
迷惑をかけ、
傷つけ、
いたぶり、
奈落に落とす。
忌々しいリアルが、
エンターティメントと
なっている。
刹那の快楽となっている。
下手をすると
商習慣ともなり得る。
やっぱ、
時代のせいなのかね。
いや、
時代に翻弄されてしまう
自らのせいか?
いやいや、
自らのせいってことは
親の育て方のせいなのか?
私たちに出来ること
眼を背けないこと。
他人事ではなく、
自分たちの中にも
その忌まわしい萌芽が
時々に垣間見え、
潜んでいることを知ること。
罪を罪として憎むこと。
被害者にも加害者にも
誰もがなり得るこの世の中。
自身を傷つけることと
他者を傷つけることは
表裏一体のことで、
だからこそ、
自身を決して
傷つけてはならない
ってことを肝に銘じて
歩きましょう。
環境は人が創造し、
文化は人が構築していく。
ご参考まで。
津村健司