飽食の時代が久しいですが、
満腹
が、
自分自身の全体性が
充たされている状態と
僕らは勘違いしがちかなと思います。
規則正しく、バランスよく
3食欠かさず食べましょう。
は、
人類の智慧?
(栄養学や医学や神経医学や健康学などの
観点から。はたまた、エジソンによる
小麦粉メーカーの陰謀か^^)
かも知れませんが、
それは逆に、
お腹が減っていなくても、
規則正しくご飯を食さなければならない
という側面を持っており、
バランス良くってのを意識出来れば
良いのですが、
それが適わない場合、
常にお腹が充たされる状態が維持される。
かくいう私もそうでしたが、
3食キチンと、
(しかもバランス悪く偏った^^)
ご飯を食すことを心がけていました。
でも、
ある日ふと感じたのですが、
年齢や体質や代謝や、
そんなものは個人個人違うのは
当たり前のことで、
心と身体は食べたもので構成される。
っていう観点から、
試験的に1日1食にしてみました。
すると、
暫くは慣れないので
違和感がありましたが、
その内、その状態が常となり、
現在は、
基本、お腹が減ったら食べる。
(自分で手配出来うる最大限の
栄養バランスを考えての
1日1食を夜に食すが常。)
となっています。
満腹を意識するのではなく、
栄養補給の観点で食事というものを
捉えているといった方が
良いのかもしれません。
活動量が多ければ、その分の補給を増し、
代謝が落ちていたり、不活発な場合は
補給を制限したりすることは、
身体は勿論のこと、
思考面や精神面の安定にも極めて有効と
現在は感じています。
(勿論、栄養バランスを最大限考えてのもの)
ADHDやIQ低下等は
栄養障害によるもの。
つまりは、
食物の摂取の内容を
変えていくことによって、
これらが劇的に改善されるといった
エビデンスも数多く見受けられ、
これまでの食事内容や頻度や形態を
見直すことが、
極めて私たちの現代社会では、
重要なようなことのような気がします。
(身体の満腹=中枢神経刺激 満腹感)
=心の満腹
即ち、
身体の満腹感と同じように、
心もいつも満腹でいなければならない。
心はいつも充たされた状態でなければならない。
といった
一種の強迫観念とも言えるものが、
余計に私たちの心を乱しているのでは?
苦しくバランスの悪いものに
させているのではないか?
と、最近よく感じます。
(睡眠の質や運動の質の重要性も同じ理屈)
食したものが、
身体を創る。
はピンときますが、
心を創る。
は、なかなかピンとはこない。
だから、尚更、
食事内容等に焦点を当て、
自らの生活の改善を試す価値あり
ってね、
私は思うのです。
※あくまでも個人の感想ですが、
いわゆるジャンクフード等を食すと、
身体バランスが崩れ、睡眠の質や
運動量にも変化が起こり不活性となり、
伴い、思考が鈍り、心が乱れるって
感覚を敏感に感じるようになりました。
(特に、缶コーヒー、ポテチ、
カップラーメンは顕著です^^)
睡眠、運動、食事
古来から、重要性を謳う
このベーシックなものたち。
ベーシックだからこそ、
なかなか気づかずに
当たり前が常態化している
私たちの生活。
見直す価値が、
そこにあるのでは?
ご参考まで。
津村健司