人と人との
交わりや繋がりは、
その文脈によって
多様に変わります。
意図して繋がる。
意図したものではなく
偶然に、突然に繋がる。
等、様々。
いずれにしても、
人は、その出会いという
物語に意味付けをし、
特に、
結果によって判別をし、
その出会いに価値をつけ、
良し悪しや、
好きだの嫌いだの審判を下す。
といった側面を持っています。
メリット、デメリットという
少しいやらしい思考も潜んで
いるかもしれません。
ただ、
文脈や物語という
大きな枠組みではなく、
隣接点という視点で鑑みると、
若干、その様相は変わります。
それは、
人と人とが交わるのは、
その人(相手)の中に自分を見出し、
その見出した自分をもって、
相手との相互作用により、
何らかのエネルギーが放出される
ってこと。
それが、
光り輝く肯定的なものであれば
良いのでしょうが、
そんなことばかりではなく、
暗闇に導かれる極めてネガティブな
忌まわしい環境や時間ってことも
非常に多く生じます。
だから、
文脈や物語に人は焦点を当ててしまう。
で、
その焦点が当たったものを後生大事に
抱えて生きてしまうから、
人を信じれないや、人間不信等になり、
一歩踏み込めない自分を感じたり、
卑屈になってもみたり、
殊更に距離を置いてみたりをする。
でも、
前述のように、
隣接点に焦点を当てると、
相手越しに自分を見ている。
つまりは、
相手越しにしか自分を見ることは出来ない。
その唯一の方法が、
隣接点
ってことに気づきます。
相手からの働きかけや、
自分からの働きかけ、
それに対する相手の反応や
自身の反応。
そして、
そのタイミングや、
空間や枠組みや目的や、
そんな色んな要素により、
その出会いは常に
変化しながら構築されていく。
ってことは、
本来的に、
そんなものは、
あまり私たちには実は関係がなく、
実は、そんなに関心のあるものでもなく、
実は、そんなものに執着するのも馬鹿らしく、
嫌ならばスルー。
煩わしければスルー。
ただそれだけのことであり、
それ以上でもそれ以下でもないってのを、
隣接点(その視点)はキッチリと教えてくれている。
つまりは、
他者と交差することにより、
自分自身を見ることが出来る
唯一の方法をたやすく手放すな
ってこと。
結果のいかんに関わらず、
自身の興味や関心や、
価値観や、想いや願いや、
そんなものは、
他者越しにしか見えません。
その為に、
隣接点というものが設けられ、
他者という貴重な存在
を通じて享受することが
出来得る。
つまりは、
どんな相手であったとしても、
感謝すべき存在となる。
で、
その点は感謝なのだけれど、
感謝の気持ちを心に据えながら、
嫌な関係性に発展をしたり、
嫌な関係性が永続的に続いてみたり、
はたまた、
嫌な関係性を予感できるものであれば、
隣接点という観点から生じた
感謝の気持ちを維持するがために
断ち切れば良い。
スルーすれば良い。
そして、
新たな隣接点を探すべく、
毎日、街に出れば良いし、
(コロナには気をつけて^^)
より一層、お仕事に励めば良いし^^
めちゃくちゃ他者と触れ合えば良い。
隣接点は、
自身を知れる。
内省化を図れる。
貴重な資源
であるってことを
ついつい私たちは
忘れてしまいがちですし、
その貴重さに
気づきにくくもあります。
どうか、
貴重な資源を逃さないでくださいね。
補足)
傷つけられたことがあったとして、
傷つけられたことに
感謝するってのではなく、
その隣接点に感謝していくって視点。
とても大切だと私は思います。
人間関係のコツなのかもしれませんね。
ご参考まで。
津村健司