· 

殴られれば必ず痛い(想像力を働かそう。)


表題の通り、

 

 

殴られれば必ず痛い

 

 

のは当然です。

 

 

殴るは、

 

意思や意図がある行為ですが、

 

たまたまに

 

振り回した手が当たっても、

 

 

やっぱり痛い。

 

 

つまりは、

 

意思や意図があろうとなかろうと

 

当たれば必ず痛いわけですね。

 

 

意図や意思を持って、

 

人を殴ることは勿論、

 

周りに人がいる状態で、

 

ブンブン腕を振り回すと

 

誰かに当たる可能性は高まる。

 

 

そして、

 

 

殴られた もしくは、当たった人は

 

 

痛い想い

 

 

 

 

必ず

 

 

する。

 

 

自分は俊敏に避けることが

 

出来るかもしれないが、

 

避けきれない人も大勢いる。

 

 

これらのことに

 

 

当然の想像力

 

 

を働かすことの出来る人は、

 

意思として、意図的に殴ることも

 

しないだろうし、

 

人ごみの中で、

 

ブンブン腕を振り回すこともないでしょう。

 

何故なら、

 

痛みを知っているから。

 

何故なら、

 

痛みは知らないが

(殴られたり当たったりの経験がない。)

 

きっと痛いだろうな

 

という想像力を働かすから。

 

 

つまりは、

 

他者に対しての想いのあるなしの

 

違いとも言える。

 

 

この世の中には、

 

 

近しい人には優しくて、

 

遠き人はブン殴るや、

 

近しい人はブン殴り、

 

遠き人に優しく振舞う。

 

なんて人も

 

実際に存在しますし、

 

誰彼構わずブン殴るって人も

 

少なからず存在します。

 

下手をすれば、

 

自分も含めて

 

あらゆる対象をブン殴るほど、

 

自暴自棄の生き方をしている人も

 

いるかもしれない。

 

でもさ、

 

そんな人でも、

 

 

想像しようぜ。

 

殴られれば痛いってこと。

 

 

自分が痛い想いをしたからって、

 

誰かも同じように

 

痛い想いをしなければいけない

 

なんて道理もなく、

 

誰かが痛がる様子を見て、

 

自身の存在意義を確かめたり、

 

刹那の欲求を充たしたり、

 

下手をすれば、

 

それが社会正義だ!!とばかり、

 

卑小な自分を尊大にみせるという

 

勘違いする奴もいるけどさ、

(それもまた、別の意味で痛いけどね。)

 

 

誰も、

 

痛みなんて望んではいないし、

 

はい。私は痛み希望者ですなんて

 

看板も掲げてはいない。

 

 

想像をしようよ。

 

 

その痛みがさ、

 

命まで奪ってしまう可能性が

 

あるってことを。

 

 

想像しようよ。

 

 

その痛みがさ、

 

一生続く苦難を誰かに背負わせる

 

可能性があるってことを。

 

 

想像しようよ。

 

 

痛みがない世の中を。

 

 

人は、

 

自分が招いた痛みは受け入れることは

 

比較的容易です。

 

でも、

 

他者から受けた痛みは、

 

何らかの形で

 

変換しないと受け止められず、

 

その何らかな変換に要する時間は

 

果てしなくかかるもの。

 

 

想像してみな。

 

 

痛みそのもの自体は

 

瞬時に引いたとしても、

 

痛みというものは

 

極めて再燃しやすい性質を

 

持っていて、

 

その度毎に、

 

痛めたその相手が長い期間、

 

元に戻す為の

 

無用な努力と時間という

 

その人にとっての

 

貴重なコストを費やすことを

 

無理強いするってことを。

 

 

もっともっと想像しましょうよ。

 

 

この世界から

 

痛み

 

が無くなるようにさ。

 

 

精一杯の想像力を

 

働かせましょうよ。

 

 

ご参考まで。

 

ココロテラス

津村健司