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切り取り(誰も自分のことを理解してくれませんと嘆く方へ)


人は、

 

自身に興味や関心があるものを

切り取り採用する。

 

例えば、

同じような境遇や環境に育った人の

苦労話に共感したり、

自身が現在、苦境にさらされていたり

した場合、その苦境を乗り越えた人の

話から勇気や希望を貰えたり、

様々である。

至極、当たり前のプロセスであり行為であり、

想いであり、何らおかしなことはない。

かくいう私もそうである。

 

ただ、そんな自分に何か物足りなさを

感じるのも事実。

それは何か?

 

そう考えると、

一つの答えが浮かび上がります。

 

 

自身の価値観の固定

 

 

私は仕事柄、

様々な人のお話に耳を傾けます。

 

当然、年齢も性別も居住地も、

そして、境遇も環境も、

全く異なる方々と接します。

そして、

その方々の思考面や感情面や行動面に

無条件かつ積極的に興味や関心を示し、

想像力を働かせ、その異なる方々の

世界を何とか理解すべく姿勢を前のめりに

保持します。

当然、異なる方々なので、分からない世界や

分からない仕組みや、分かりにくい機能や、

分かりにくい想いなどを、

失礼のない聴き方で伺い、率直に分かりたいから

詳細を聞かせてくださいという姿勢で臨みます。

 

そして、信頼関係が築けた時に、

初めて問題なり課題なりが浮かび上がり、

私の見解とお話を伺っている方との見解が

一致し、その問題に取り組む為の

目標や方策が合意の下に設定されていく。

その後、行きつ戻りつを繰り返しながら、

フォローアップを繰り返し、

問題なり課題なりの解決や解消へと

進んでいく。

 

私の価値観がなくてもダメで、

強すぎても支障がある。

 

自身の価値観を自身が知っているからこそ

問いかけが出来る。

一方、自身の価値観が強すぎたとすると、

その弊害は、他者を自身にハメてしまう

恐れが生じ、何なら誘導という手法をとり、

その場しのぎの見せかけの解決や解消に

導く恐れを誘う。

 

この点にいつも留意しながら、

他者のお話に耳を傾けるというお仕事を

続けています。

 

さて、

お話を元に少し戻しましょう。

 

人は、自身の興味や関心のあることから

切り取りをする。

 

裏を返せば、

自身の興味や関心がないものは

切り取りもしないということ。

 

つまり、

切り取りもしないということは、

自身の興味や関心以外のものは

自身の内部に取り込む余地がなく、

その世界や、その機能や、その想いや、

それらを知らない、あるいは、

知りたいとも思わない、あるいは、

無関心となり、

人の話に耳を傾けられない素養を

創ってしまう。

 

即ち、

孤立し、孤独となる

あるいは、

同じ価値観の人々を探し求め、

でも、

全く同じ価値観の人は

この世には存在せず、

その為に、自身に絶望し、

その為に、

多様性や順応性が退化し、

やっぱり、

孤独や孤立が進んでしまう。

 

そう思うのです。

 

よく、自分のことなんて

誰も分かってくれないという

エネルギーが過多の方が

いらっしゃいます。

 

違うんですね。

 

他者に耳を傾けようとする意識。

つまりは、

他者に対し、興味や関心を示し、

その想像力を働かそうという意思が

なく、そのプロセスにより得られる

順応性や柔軟性や、創造性や多様性が

獲得できないから、

一つの思考に捉われる。

つまりは、

 

自分自身に興味がそれほどないが為に、

表層的な、

誰も私を理解してくれない

という思考を固定化してしまう。

 

このブログで何度も記してはいますが、

 

人は一人では生きてはいけません。

 

一人で生きているようでいて、

その実、

誰かと繋がりながら生きているのが

実際です。

 

だから、

 

繋がりが必要だと誰もが口を揃えて

言うわけです。

 

自身に興味がそれほどないという

現われは、

他者に興味がないという自覚です。

 

もし、

その自覚が自身に生じたならば、

 

他者に興味関心を示しましょう。

他者の話に耳を傾けましょう。

極力、

自身の価値観とは違う価値観を持つ人の。

 

繋がりましょう。

他者という貴重な資源とね。

 

傷を恐れず、勇気を持って、

 

やってみて!!

 

ココロテラス

津村健司